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やや曇天の梅雨空をものともせず、
朝っぱらからそれは活発に行動しておられる一角、ヨコハマにこれ在りて。
とりあえず、断りもなく自分の眼前から行方をくらました虎の子を
勤め先である武装探偵社にて無事捕獲した、ポートマフィア上級幹部、中原中也殿。
レトロなレンガ造りの佇まいがそのまま観光名所になっていいだろう、
シックな風情の雑居ビルの4階ロッカー室の窓をぶち破ってというド派手な脱出をした末に、
このまま自宅へ駆け戻っても
その在所を知っている太宰という最強の追っ手に追いつかれてしまうだけなので、
駆けつけるのに乗り付けた車を出してただただ街から離れることに専念し。
ウィークデイとしての闊達さを見せるオフィス街や雑踏を避け、
結果として場末の埠頭へ進路を定める彼であり。
途中で交わした会話は、
『怪我はないか?』
『…はい。』
状況が状況だったので このやり取りだけという強行軍。
車窓を流れる風景の中、どんどんと空と海の占める面積が増してゆき、
やがて、背の高いビル群がすっかり立ち去って。
繁忙期にのみ利用されているのだろ、
今のような季節を外した時期には搬入搬出といった荷積み稼働の様子もない、
ただただがらんとしたセメント打ちっぱなしの殺風景な突堤に辿り着くと、
やっと車もゆるゆると停止して、さて。
「……あの、」
「何で逃げ出したのかな、敦。」
ある意味、コトが戦術に類するよな仕儀に関しては、
追跡でも捕縛でも、その方法の数も手法も 自在にして勘も良いという、
途轍もない相手からの逃亡中だったため。
運転に集中していてか、口数少なく表情も見るからに尖っていた兄人なのへ、
一体どんな声を掛けられましょうかと、
こちらもやや身を固くし、ずっと大人しく黙っていた虎の子さんだったが。
停車したそのままエンジンも切って、はあと深々と吐息をついた中也なのを見計らい、
おずおずと窺うような声を掛けたれば。
そんな声へやや食い気味に相手の低い声が重なって、
ハンドルに身を伏せるようにかぶさっていた彼の、
その二の腕の上、長めの前髪の陰から放たれた、
ぎろりと斜に構えた視線が一対、殺傷能力絶大な砲火のように向けられる。
そりゃあまあ、中也の側からすれば、
話の途中であったのに勝手に出てってしまわれたのだから、
そんな強制終了を一方的に構えられては、
どういう料簡だと腹を立てるのも無理はなかろうが、
「顔を見るのも ヤになったか。」
そうと続いた一言へは、弾かれたように素早く顔を上げ、
「そんなはずないでしょう?」
ちょっと前であったなら
こうまで生々しい感情を鋭く向けられれば、
そのまま一も二もなくごめんなさいと怯えて謝っていただろう、
それは腰の引けてた少年も、
さすがにちょっとばかり物慣れても来たようで。
「中也さんたら、ただただすまんとかごめんとか言うばっかりで、
しまいには土下座しかねないほどで。
こっちの言い分を全然聞いてくれなかったじゃないですか。」
何より、その点に関してはこちらからも物申したいという意思もある。
それこそ、この兄人にだって折れませんという強さのそれが。
“どれほど挫けちゃったかも知らないで…。”
シャツ越しの感触もくすぐったい、いい匂いと頼もしい微熱にくるまれて、
ぽかんと迎えた目覚めはとても心地よく。
ああそうだった、昨夜は中也さんチに泊ったんだと
現状を思い出して胸のうちが温かくなり。
酔っ払ってた中也さんからちょっと強引に引っ張り込まれて
そのまま寝ちゃったんだっけと、滑稽だった寝入りようも思い出し。
それから…あのね?
『……。///////////』
少しだけ含羞みと一緒に思い出したことがあったのだけれども。
先に目覚めてた中也さんからうりうりと弄られて、お巫山戯ぽいじゃれ合いが始まって。
ああこれは今は持ち出さなくてもいいことかしらと、
甘い甘い睦事として仕舞いかかっていたのにね。
そんな甘い気分を一気に冷めさせたのが、
中也の突然の驚きっぷりで。
『な…。』
敦の首元に刻まれていた例の跡が目に入ったそのせいだろう、
どこか呆然自失、有り得ない幻影でも見たかのように、
上等な玻璃玉のような青い目が座った切れ長の目許を見開いて、
こちらを じっと食い入るように見やっていた中也さんは、
そこから何を思ったか、いきなり身を起こすとただただ謝り始めたのだ。
『…ごめん。すまん敦、怖かったよな。酔ってたなんて言い訳にもなんねぇよな。
いやだって言えなかったよな、悪りぃ。ごめんな、』
そうとばかり続けたその上、
すぐ間近から続いて身を起こしたこちらへ伸ばしかけてた手も、
思い直してか、途中でぐっと握ると引っ込めてしまった彼だったのへ、
『…あ。』
何でどうして謝る中也なのかが判らなくて。
何が何だかと呆けていたものが、
それを見て初めて、何だか冷ややかな想いを感じてしまった敦だったらしく。
「ボクは…そういうんじゃなくて。
昨夜はとてもほっこりして眠れたのに、
嬉しい想いを一杯抱えていたはずなのに、
何かそういうの全部、
違うんだそうじゃなかったんだって引っ繰り返されたみたいで。」
「敦?」
それでなくとも自分は中也のように即妙な言葉をあまり知らないし、
相手の抛った切れ端から真意へのあたりを付けるもの下手くそだ。
このままではやはり話を一向に聞いてくれない彼だろう、
恥ずかしいこと怖かったこと、思い出させたくないと思いやっての運びに違いなく。
でもでも、あのね?
“そう”じゃないのに、違うのに
そうじゃないんですと言い出せないのがもどかしい。
何も言わんでいいとばかりに畳みかけてくるのが、
ホントにそうなら優しい心遣いであり、頼もしいかもしれないが、
そうじゃないんだ、違うんだのにと思えば歯痒いばかり。
だから、中也へという電話が掛かって来た隙に、
「もういいって飛び出したんです。」
やや端的な言いようをする少年は、どうやら
事態の全てを決めつけたように断定し、
それへひたすら謝ってばかりだった中也だったのへ、
大仰に言って愕然としちゃったらしく。
「謝ってほしいなんて思ってもなかった。
そりゃあ、ドキドキもしましたし、何だこれ何されるのってヒヤッともしましたけど、
ちゅや、さん……優しくて。あと可愛くて。////////」
「………はあ?」
何だかどうも、同じ事実への見解が
彼と彼とで随分と開きのある受け止められようをしていたようで。
言いつのりながらどんどんと真っ赤になってゆくものの、
それでも頑張って言ってのけようとする敦だったのへ。
呆気にとられ、それからそれから、
「……うん。」
その端正なお顔でやると すこぶるつきに迫力が強まるというに、
そこまで配慮する余裕はなかったか、眉も口許もただただ怪訝そうに顰められていたものが、
今はぽかんと間の抜けたそれへ塗り替わっている自身の表情を
小さなつぶやきと共に落ち着かせ。
おもむろにハンドルから起こした身を、シートへ凭れ直させた中也であり。
キュウと鳴ったそのまま、クッションからしゅしゅうと空気が抜ける音に身をゆだね、
「そうだな。話を聞かないってのは一番よくねぇよな。」
やっとのこと、普段のようにくくっと小さく微笑って見せる。
彼の側とて混乱していた。
そうそういつもいつも泰然としてばかりもいられないし、
ましてや…もしかしてとんでもない事態なんじゃないかと恐れ、
最善の対処をと思ったのが “ごめんなさい”の固め撃ちだったとは、
今にして思えば最低かもしれず。
まだまだ幼いお顔を真っ赤にし、
さっきは逃げちゃったけど今度は頑張ると言わんばかり、
綺麗な配色の双眸を力ませて、こちらへ向かい合う愛し子へ、
「聞かせてくれるか? 敦の言い分。」
目許と口許をやんわりと和ませ、そうと促した中也だった。
to be continued. (17.06.29.〜)
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*亀の歩みですみません。
あんまり雑に進めてもなぁと思ったら、まあ進まない進まない。
次の回想で何があったかが明らかになる予定です。

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